2020/05/31

2008年5月31日 パリ9日目


食堂で朝食。いつもと変わらないメニュー。
バゲット、ヨーグルト、飲み物。バゲットをナプキンに包む。
部屋の予約は済ましているのでそのまま準備をして出かける。

本で見た籠がいっぱいあるお店に行ってみる。とてもかわいかったけど持って帰るにはちょっと荷物になりそうなのとどれがいいのかさっぱり分からず物色だけして何も買わずに出てきた。籠以外にも色んな日用雑貨がところせましと置いていてかわいかった。
歩いているとメトロの駅近くにパン屋さんがあってどんなもんか気になったので入ってみることに。いろいろあったけどエクレアが気になったので購入。
気になったというかエクレアが好きだからね。
外に出たところで食べる
びっくりするくらい美味しい!!!
アイスばかり食べていたけどもっとフランス菓子に目を向けるべきだったと猛省。
遅い。遅すぎる。とりあえずエクレアが売ってそうなお店があったら迷わず寄って食べることに決める。
そしていろいろ食べたけどこのとき食べたエクレアがいちばん美味しかったような気がする。初めての現地でのエクレアだもんね。セーヌ川も近いメトロの駅でだいたい場所は分かるけど曖昧で、でもまた行ける機会があったら絶対にここのエクレアが食べたいと思っている。エクレアを食べるたびに思う。パリでの味。感動。

そのまま歩いてリュクサンブール公園へ。
ものすごく広くて良い公園だった。いい天気だしみんな夏休みみたいな雰囲気でのんびりと過ごしている。わたしもベンチに座ってしばらく休む。大きな公園がいくつもあっていい。しかもすごく丁寧に管理されていてとても心地よい。みんなの憩いの場。

公園近くの奇跡のメダイユ教会へ。観光地としてもとても有名だしメダイユがとても人気の教会。私も楽しみにしていた。礼拝堂に入ると白を基調にした清楚な雰囲気で壁画も薄いブルーでさらに神聖さを増していてすごく良い教会だった。歴史あるゴシック建築の教会も素晴らしいけどそれとはまた違う神の優しさを感じられるような、そんな教会だった。しばらく座らせてもらって、売店で絵葉書とお土産にメダイユをいくつか購入。
このメダイユはとても良いお土産だと思った。

教会の近くにある世界最古の百貨店ボン・マルシェへ行く。
高級感漂っていたので生活雑貨のフロアで缶入りの石鹸だけ買ってあとはずっと食料品フロアを徘徊していた。
ものすごい数の紅茶が売っていて、何か買って行こうかなと見ていたらバゲットを食べながら紅茶を見ていたマダムふたりが話しかけてきて「朝に飲むといい紅茶はどれか」と聞いてきた。明らかに私よりも紅茶に詳しそうだし飲んでそうなマダムなんですけど、なんなんだろう。なぜ私に聞くのかほんと謎すぎる。なんとなく一緒に選んであげてふたりはご機嫌で去っていった。私はクスミティーの小さな缶がセットになっているのを買うことにした。生鮮は見ていて楽しかったけど買えないなと思いながら物色だけ。レジの近くにバゲットのサンドイッチがたくさん売っているのを見つけてお昼ごはんにひとつ買ってみることに。ズッキーニ、なす、パプリカがグリルされている。これがめちゃくちゃ美味しくて本当にびっくりした。こんなおいしいバゲットのサンドイッチは食べたことないよってくらいの衝撃。美味しすぎてなくなるのがさみしかった。マダムを見習って歩きながら夢中で食べた。

VAVINまで歩き、先日見学したデッサンの教室へ数時間参加しに行く。
かよこさんはもう帰国していたので私ひとりだったけど大丈夫だった。
体験で数時間、デッサンができる。
シャガールやモディリアーニ、ピカソ、藤田、そうそうたるメンバーが集った街で自分も絵を描いてみたいという、みんなの夢を叶えているデッサン教室すごいなと思った。
みんな趣味で絵を描いているのか、ただ巨匠たちが好きでたまたま来ているのか、という感じの人たちが集っていた。誰ともあまり話さずに終わった。
何を描いたか全く覚えていないしそのとき描いた絵はどうしたんだろう。全く記憶にない。

終わってそのまま歩いてセーヌ川の方へ行く。どこまでも歩いていけそうな気がする。
でもだいぶ疲れてはいるんだけど。途中で見つけたお店でエクレアを買って食べる。美味しい。エクレアブーム到来か!
美術学校の近くにあった画材屋さんが開いていたのでパステルを何本か購入した。
夕暮れ、セーヌ川の橋の上でのんびりして持っていた本を少し読んだりして過ごす。
うらばす(ネットカフェ)へ行きもうすぐ合流予定のあべちゃんんメールをする。
一度宿に戻ってまた散歩へ出かける。
たしか記憶だと誰か同室の人と行ったような気がするけど何も書いていない。でもだれかと話しながら公園で歌ったりしている人たちを見ていたような記憶。
日記もここまで来るとただ単語だけだったり、行った場所、食べたものだけだったりしてそこから記憶を辿ってみる。大変だけど楽しい。
この日も夕ご飯については何もない。
節約のために何も食べていないのかな?
夕ご飯をどうしていたのかが本当に気になる。早めに寝てたのかな。



2020/05/30

2008年5月30日 パリ8日目






日記の始めにおにぎりせんべいを食べると書いてある。日本から持って行っていたのか、全く覚えていないけどなぜこのタイミングで食べているのか謎。醤油が恋しくなったのかな。おにぎりせんべいをフランスで食べる日が来るなんて信じられない。

久しぶりに朝のんびりと過ごす。
バゲット、ヨーグルト、飲み物。バゲットをナプキンに包む。
朝食のあとはお決まりの部屋の予約。まだ3泊はする予定だったので頼んで3泊分の予約、支払いを済ます。前からこのやり方が出来たのかな?システムがよく分からない。

ゆっくり散歩がてらロダン美術館まで歩く。庭園が夢のように素晴らしい。5月の青々とした緑にお花たち。この時期に来れてよかったと心から思った。ロダンのアトリエがあった豪邸がそのまま美術館になっている、ロダンってお金持ちだったのかしら。実はよく知らずに来た。彫刻のこともよく分からない。分からないけどブロンズ像とか意味分からなくてもはやすごいとしか言えない。地獄の門の重々しさ。考える人に群がる人々。彫刻がメインのせいなのかかなり重圧感のある美術館だった。それを和らげるための豪邸と庭園なのかな。絵に描いたような貴族のお屋敷の庭を散歩出来てとても優雅な気持ちだった。
緑が本当にきれいだった。

歩いてすぐのオランジュリー美術館へ行く。昨日の二の舞にならないように早めに来た。
目玉はなんと言ってもモネの「睡蓮」。ものすごく大きな絵。実際に庭を見たけれども実物の庭とはまた違う感動があって胸が震える。モネは本当にすごい。ため息しか出ない。庭への愛、絵画への愛、いろんな愛が見える。自然光が入ってくるようになっていて観る時間帯によっても雰囲気が変わりそう。1日ここで過ごすことも出来そうなくらい良い空間だった。無事に入れてよかった。

オランジュリーを出るとすぐにチュルイー公園がある。そこのアイススタンドでティラミス味のアイスを買って食べた。だいたい大きな公園にはアイススタンドと噴水もあってみんなとても楽しそう。それを観ているだけでわたしも楽しい。
ルーヴル美術館の方へ歩いていくとPAULがあったのでキッシュをテイクアウトして公園で食べる。美味しい。物価は少し高めなのであまりたくさんは買えない。少し切ない。アイスもなるべくシングルで安いのを選ぶ。それでも十分しあわせ。

いざルーヴル美術館へ入館。入り口のガラス張りのピラミッドがとてもかっこいい。とにかくすごい人が観賞に来ていた。人、人、人。廊下には所狭しと彫刻作品がありみんなが触ったあとがみえる。大丈夫なのかな?心配になるけどそういうものらしい。写真もバシバシ撮っている。いざ入ったものの、人の多さ、連日歩きまくりで疲れていたのもあって少し休憩のつもりでソファに座ったらそのまま1時間ほど居眠りしてしまった。まさかのルーヴル美術館で居眠り。信じられない。でも仕方ない。疲れていたもの。起きてぼんやりしていたけどせっかく来たんだし色々観たい。来れただけで満足してしまうところだった。閉館まで満喫しようと決める。
そしてついに「モナ・リザ」との対面。ものすごい人がその部屋に来ていて熱気がすごかった。想像以上に小さくてとても繊細そうな、そして儚い雰囲気がした。その繊細な彼女を撮影しまくる人々。今は分からないけど当時は写真も撮っていたし下手したら触りそうな勢い。さすがに触れないようにはなっていたけどなかなか大変そうだった。
でも間近で観れてとても嬉しかったしここにずっといるんだなと時々彼女のことを思い出したいと思った。いつもこんな雑踏の中にいるのもなんだか面白いけど閉館後はメトロポリタンミュージアムの歌のように動き出したりしていたらいいな。

サモトラけのニケ像を見上げているときに親子連れに道を聞かれた。そもそもなぜ私に聞くんだろう。スタッフやほかに英語やフランス語とか話せそうな人がいっぱいいるのになぜ、不思議すぎる。別にいいけどね。観たい作品があるけどどう行けばいいのか分からないみたいだったので教えてあげた。答えられる私もなんなんだろう。ちょうど観てきたところだったのかな。おもしろい。
最後はナポレオン3世の居室を見学する。なんて煌びやかな世界!王室での暮らしってそれはそれで楽しそうな気がするけどやっぱり大変なんだろうか。いろいろ妄想してしまう。豪華な暮らしをしていたんだな。
お土産売り場に寄れなくて残念だった。モナリザグッズとかかわいいのあったのかな。
見てみたかった。それだけがとても悔やまれる。

夕暮れ。パリって本当に美しいなと思う。
スタバでドーナツを買って食べる。

宿に帰ると同部屋のクロエがアイスを食べに行かないかというのでハーゲンダッツのカフェへ一緒に行く。パフェみたいなのをテイクアウトして散歩しながらだったか、店内で食べたのかな。ふたりで散歩。すっかり日も暮れルーヴル美術館のエントランスの広場に座ってしばしまったりと過ごす。ひとりだと夜はあまり歩かないようにしていたので夜の散歩がとてもうれしい。夜風がとても気持ちよかった。
このクロエちゃんはろくに話せない私にもとてもフレンドリーでマブダチみたいに接してくれてとても優しかった。どこの国の子だったかな。

結局夜ご飯はパフェのみだったのか、何も記録がない。
夜ご飯情報がなさすぎて本当に謎!







2020/05/29

2008年5月29日 パリ7日目



 

朝、同室のカナダ人だったかアメリカ人だったかの青年が朝食に誘ってくれたので他の女の子を一緒に3人で食堂へ。
だれかと一緒でも私は英語での会話ができないのでなんとなくふむふむ言うだけ。
バゲット、ヨーグルト、飲み物。バゲットをナプキンに包んでおく。
この誘ってくれた男の子はとてもフレンドリーで優しかった。
部屋が10人部屋になって名前もメモしている人としていない人が出てきている。挨拶だけで終わる人もいるし、早朝出て行ってそれっきりの人や寝静まった頃に帰って来る人やみんなそれぞれの行動。みんながパリで何しているのかとても気になる。

部屋の予約をして、みゅうへ顔を出す。また来れるか分からないのでお世話になった日本人スタッフのおじさんとおばさんに挨拶する。とても愉快な二人だったな。私のことをなぜか女優という設定で接してくれてそれが謎だったけどかなり面白かった。ときどき日本語で気兼ねなく話せる人がいることですごく安心してパリで過ごせたな思う。感謝。

そのままシテ島まで歩く。サントシャペル教会へ。今日から二日間使えるミュージアムパスで入場。ステンドグラスがすばらしい教会だった。毎日歩いていて思うけど徒歩圏内にこんなに歴史的にもすばらしい建築物がごろごろあってほんとにすごいなと思う。
次は近くにあるノートルダム大聖堂へ。入場に少し並ぶ。人も多くて人気なのがよく分かった。パリに来て行列に並ぶのは初めてだったかも。ノートルダムも素晴らしかった。ステンドグラス、マリア像などの石の象、どっしりとした重みのある大聖堂だった。圧巻。キャンドルを買って奉納した。みんながそうやって灯した蝋燭がとても美しかった。

また歩いて今度はポンピドゥーセンターへ。ゴシック建築が多いパリの中では逆に珍しい近代的でかっこいい建物。中にある近代美術館に行きたかったけどかなり広そうで見て回れる時間がこの後の予定を考えると難しいかなと思ってエントランスの雰囲気と外観だけじっくり楽しんだ。また来れるかしら。2日間では観に行けるところがやはり限られてしまう。仕方ない。
ピカソ美術館へ。少し道が狭い界隈にあって迷った。とても楽しみにしていたピカソ美術館。最高に良かった。やっぱりピカソってすごい。絵も良かったけど初めて生で観た陶芸作品が本当に良くて、あと館内の雰囲気も光の入り具合、ぜんぶ最高に良かった。
大満足の心のまま外に出て見つけたアイススタンドでショコラのアイスを買って食べる。

次は歩いて行こうか迷ったけど時短のためメトロに乗ってモンパルナスまで行く。郵便博物館。フランスにおける郵便に関する博物館で切手からポスト、郵便受けや配達の自転車などぜんぶがいちいち可愛かった。手紙や文字が好き。
本に掲載されていたクレープ屋さんがモンパルナスだったので遅めのランチに行ってみることに。一人でレストランやカフェにはまだ入ったことがなかったので少し緊張したけど日本語のメニューがあって有り難かった。迷いながらガレットとデザートにクレープも頼んだ。どの種類にしたかは謎。となりにスーツできめたかっこいいおじいちゃんがいてクレープのときフランベしていてさらにかっこよく見えた。どのクレープでフランベしてもらえるのかは分からなかったけど。角砂糖の包みがかわいくて使わずに持って帰った。

オランジュリー美術館へ。閉館まであと2時間もあるのに入場を断られた。びっくり。もう働きたくないってことなのかな。
諦めてセーヌ川をちょうど渡ったところにあるオルセー美術館に行くことにした。先日は外観だけ観て満足していたけど実際中に入ると元駅舎はとても立派で大きな時計、アーチ型の屋根、広々とした空間、光も綺麗でかなり壮大な美術館だった。そして展示物もかなりあって全部観たいけど全部観るには1日がかりな気がした。かけ足になってしまっけど観たかった有名な絵画や気になる作品を堪能。観たい気持ちと歩き疲れてよれよれの足。気持ちに身体がついていくのに必死だった。最後は疲れ切ってもういいやという感じ。ちょっともったいなかったな。
ふらふらになりながら歩いて宿まで帰る。
帰り道のセーヌ川、夕暮れがとても綺麗だった。

夜ご飯の記録がないけどいったいどうしていたんだろう。
ほぼ歩くか観ているかでほんとうに疲れていたことはよく覚えている。オルセーがいちばん辛かった。足が痛いという思い出とセットになってしまってオルセー美術館ごめんねという感じ。いつか挽回したい。


























2020/05/28

2008年5月28日  パリ6日目

 

 




朝起きて、ワシンと話す。ワシンは日本語が分かるので嬉しい。言語が通じることの喜びを感じる。ワシンはタイに帰ったら映像制作の会社に入社することが決まっているらしい。今もタイでがんばっているかな。

朝食は同じ部屋のメンバーと時間が一緒のときは同じテーブルに座って一緒に食べる。
私は英語がさっぱり分からないのでふむふむと会話は聞くけどほぼ話さない。何か聞かれたらもう一度言ってもらって答えられそうことだけ簡単に言う。
バゲット、ヨーグルト、飲み物
バゲットをナプキンに包む。

受付で部屋の予約を済ませてみゅうへ。
美術館のフリーパスの券を購入。いろいろあるみたいだけど2daysにした。
それでも高く感じたけど毎回入場のときに払うよりはお得になると思っての購入。
さっそくヨーロッパ写真美術館へ。欧州でも最大の写真美術館らしい。
入り口でピンクのかわいいワンピースを来たスタッフの方が両手の人差し指を立てながら、11時からのオープンということを教えてくれた。最初はフランス語で、次に英語で伝えてくれた。フランス人は英語を使いたがらないと聞いていたけど、フランス語が通じないことが分かると英語で話してくれるのできっといろいろ変わったんだろうなと感じる。そしてみんな本当に優しい。

オープンまで時間があったのでH&Mに寄って太めのボーダーのてれてれしたTシャツを買った。かわいかった。
外に出て少し散歩しようかなと思ってたら「もしかして日本人の方ですか」と日本語で話しかけられた。フランス人の男性。お茶をしないかと誘ってきたので時間もあるしカフェに行けるチャンスだと思って一緒に行くことに。
アラン。36歳。見た目は50歳近かったので驚いて「36歳?!嘘でしょ」というようなリアクションをしたらすごく怒られた。本気で怒っていたけどどう見ても36歳には見えなかった。
アランは日本語がペラペラでとても上手。日本で生まれたのか住んでいたのか。東京のどこに住んでいるのかと聞いてきたので当時住んでいた都立大学と答えたら「すごい偶然。私も東横線の綱島にいたよ。近いね」と言って来た。本当かな?会ったときから私はアランを怪しい人物と思って接していたのでかなり疑った。アランのお母さんが銀座と代官山でレストランを経営しているというので、帰ったら行ってみたいからお店の名前を教えてと言うとそのときだけなぜか聞き取れないフランス語で伝えてきた。何度聞いても聞き取れない。ますます怪しい。日本語も書けるというので持っていたメモ帳に書いてもらう。確かに上手だった。日本では大学でラグビーのコーチをやっていたらしい。
どこの大学に行っていたのかを知りたがったので教えたら「ユーミンといっしょだね。南フランスに別荘があって隣に住んでいるのがユーミンで友達だよ」と言う。信じられない。ユーミンが犬をたくさん飼っていること、子どもがいない理由などをアランはあれやこれやと言うので友達のことをそんな風に話すもんじゃないぞと心の中で突っ込む。私の太々しい態度に気がついてるのはいないのか、アランはまた会って今度は一緒にディナーを食べようと言ってくる。断ったけどとてもしつこいのでOKということにして明日の18時にオペラ座の前で待ち合わせと決めた。そのこともアランがメモ帳に書いた。ひらがな、カタカナ、漢字、全て使えるらしい。最後に「明日会うことはだれにも言わないでね」と言うのでどうしてかと聞くと「言って欲しくない」の一点張りだった。誰かに会う予定はあるかと聞くので今夜日本人の友人に会うことを伝えると焦り出して「その人には絶対に言ったらダメだよ」と念押しされる。お茶代をごちそうするよと言ってくれたけど借りを作りたくなかったので断った。せっかくだからおごってもらえばよかったかな。こういうときかわいらしく上手にできる人が世の中うまく渡っていけるんだろうなと思った。外に出て分かれるときもアランは明日会うことの確認と絶対に誰にも言ってはいけないことを伝えて来た。怪しさ満点なんですけど。さよならアラン。嘘が下手ね。

11時になったのでヨーロッパ写真美術館へ。エントランスにかわいいカタツムリがいたのでしばらく見ていた。受付にはピンクのワンピースの彼女、とても美人で聡明な印象。かっこいい。どんな写真があったのかさっぱり覚えていないけど中庭のようなところの緑がとても豊かだったような記憶。大きな写真がたくさんあったような。
そこから歩いて今度は書簡と筆跡博物館へ。地球の歩き方でも地味な案内だったけどぜったいおもしろいだろうと思って行くことに。道すがらまた声をかけられるけどアランのこともあったので無視した。今思えばどんな人で何の用事だったのか気になる。

書簡と筆跡博物館はとても素晴らしかった。建物も素敵だし、暗い照明にぎゅうぎゅうに展示された偉人たちの筆跡。サン=テグジュペリ、マリー・アントワネット、マグリット、ミロ、マルセル・デゥシャン、マティス、ロートレック、セザンヌ、モネ、プッチー二(文字が音符になっていてかわいい)、ワグナー、シューマン、モーツアルト、ベートーベン、アインシュタイン、などなどものすごい数の人たちの筆跡が見れて、文字好き、紙好きには堪らない博物館だった。興奮しっぱなし。ただ人気がないのか入って出るまで来場者は私ひとりでずっとスタッフは話し込んでいた。

出てメトロのVAVIN駅まで歩く。モンパルナス墓地に言ってマン・レイとサルトルのお墓に手を合わせる。マン・レイがここに眠っていると思うとなんだか感慨深い。他にも著名人のお墓がありみんな普通にお墓に参るらしい。

16時にかよこさんと待ち合わせ。パリ2日目に出会ったかよこさん。美容院に行ったりアトリエに通ったりパリを満喫しているとのことだった。かよこさんが数日間通っているアトリエに見学に行かせてもらった。1日だけの体験もできるということでせっかくだから予約をした。光がきれいに差し込むアトリエでみんなで絵を描いている。モンパルナスはシャガールやロートレック、フジタなど多くの芸術家が集ったカフェがいくつもある芸術家の町。時間がなくてみんなが集まったというカフェに行かなかったことを今も後悔している。

久しぶりにメトロに乗ってTOROCADERO駅へ。外に出てトロカデロ広場に出る。目の前にドンとエッフェル塔が見える有名な観光スポット。私もかよこさんに写真を撮ってもらう。ほんとうにすごい場所だなと思った。気持ち良いくらいよく晴れて青空、最高。

そこからかよこさんが借りているアパートまで歩く。途中、スーパーで買い物。
アパートはとてもおしゃれな雰囲気で広くて窓から緑も見えるしすごく良いお部屋だった。うらやましいくらい。かよこさんは保育園の園長先生を定年で退職してそのお祝いでパリに旅行に来たそう。夕ご飯のお料理をいろいろ用意してくれていた。日記には、サーモン、パイの肉詰め、ホワイトアスパラ、パプリカ、人参、おいも、えび、メロン、さくらんぼ、と書いてある。ソテーされたりしていたんだろうと思う。赤ワインも。あまりお酒は得意ではないけどいただく。いろいろお話をしてまた日本で会えたらいいねと連絡先を交換した。かよこさんは地方に住んでいるけど息子さんが東京にいるからよく遊びに来るらしい。アクティブなかよこさん。そしてとても優しかった。

初めて夜のメトロに乗って帰宅。無事に帰れた。
宿に戻るとちょうど男の子3人組みが部屋の空きがないと断られているところだった。困っている様子で可哀想だったので持っていた地球の歩き方を貸して、宿のところを指差しで教える。英語圏の人たちだったけど私の適当な説明を理解してくれてよかった。終わったら受付に預けておいてと伝えて私は部屋へ。10人部屋はメンバーが入れ替わり立ち替わりといった感じ。空いているうちにシャワーを浴びておやすみなさい。





2020/05/27

2008年5月27日  パリ5日目



くもり
朝食 バゲット、ヨーグルト、飲み物
バゲットを半分くらい残してナプキンに包んでおくとお昼くらいに小腹が空いた時に食べられていいかもしれないと気づく。

朝からみゅうに言ってモネの家に行くツアーを申し込む。
出発まで時間があったので散歩。
オペラ座界隈をうろうろ。モノプリ(スーパー)に寄ってみる。フランス語で書かれているだけで全ての商品が可愛く思えるから不思議。ヨーグルトなど気になるけど書いている内容が分からないのでどれが何なのか分からない。
そこからまたマドレーヌ教会へ。参拝。教会の中に入るには2ユーロかかる。大きい教会や観光地になっているところはだいたいお金がかかけど維持費などかな。人が多く来るということはそれなりに大変なこともあるだろうなと思う
しばらくゆっくり過ごす。教会は好きな場所。
出てまたオペラ座の方へ戻ろうと歩いてるいると道を聞かれる。これが不思議なことで、見たからにアジア人な私よりフランス語や英語が話せる人たちがいっぱい歩いているのになぜ私に聞いてくるんだろう。ロンドンでもよく道を聞かれた。
私のなんとなくな英語と指差しで分かってくれたのか教えた方向に歩いて行った。
分からなくなったらまた聞いたらいいよね。
ペレットがあったので寄ってみる。免税で少し安く買えるならいいかもと思ったけどそれでも高くてただかわいいなぁと見るだけで終わった。モンサンミシェルのツアーで一緒になった家族連れの奥さんと娘さんにばったり会った。ふたりはいろいろ試着していた。
いいな。

13:15にみゅうへ
バスに乗り込んで出発。ツアーの参加者はめちゃくちゃ少なくて10人もいないくらいだった。案内の女性は長くパリに在住している日本人でいろいろ話してくれた。
2時間しないくらいでパリの郊外ジベルニーに到着。
出発の時間まで自由時間。
モネが晩年過ごした家がそのまま残っていてアトリエもそのまま、庭もきちんと手入れされて残っている。家の中もアトリエも当時のまま残っていてもう素晴らしいのひとこと。庭はほんとうにただただ美しくてそれだけで感動が止まらなかった。モネが見ていた庭、モネが愛した庭。それがこうして残っていて今現在も見れるなんてすごいことだと思った。感動しっぱなしの私は日本風の庭園のところにある橋から庭を見た瞬間、感情が溢れてしまって気がついたら泣いていた。自分でもびっくり。この感情はいったい何なんだろう。心が洗われた気がした。来てよかったな。
帰る前に寄ったお手洗いで横っ腹に激痛が走りこのまま倒れてしまうのではないかと思った。でもグッと堪えてしばらくいたら治った。あれはいったいなんだったんだろう。

小雨が降ってきた。
バスまで歩いているとフランス人のおじさんおばさんの団体に声をかけられた。
「あなたひとりなの?すごいわね。どうやってきたの?どこからきたの?大丈夫?」
という感じ。ツアーだということ、日本の東京から来たことなど、なんとなく伝えた。みんな元気でかわいい。団体でそれぞれ声をかけてくるからおかしかった。バイバイ。
わたしのこと何歳だと思ったんだろう。きっと子供だと思われたんだ。
28歳のときにロンドンで公園で会ったおじさんに「ぜったい15歳だ。15歳にしか見えない」って言われた。日本人って幼く見られるんだと思う。

パリ市内に帰って来ると観光がてら市内をぐるりと回ってくれた。
自由の女神がニューヨークに向かって立っていること、ダイアナ妃が亡くなったところ、セーヌ川、エッフェル塔、パリのあれやこれや。
そうこうしていると案内の女性の携帯に家族らしき人から電話がかかってきて話始めて気づけば怒っていた。どうやらお子さんからみたい。おもしろい。ずっと外国で暮らすと日本での窮屈さみたいなのはどこかにいってしまうのかもしれない。
18:30過ぎに解散。
そのままアイスを買いに行く。フィグが食べたかったけどなかったのでアプリコットにした。この旅でアプリコットにおいしさに目覚めたかもしれない。おいしかった。

H&Mへ寄る。気になった服はサイズがなくて諦める。いろいろ見ているとフランス人のおばさんに声をかけられる「この靴のこのサイズが欲しい」とのことで一緒にさがしてあげる。なぜ店員に聞かないんだろうと思ったけど。

宿に戻ってかよこさんに電話する。公衆電話用のカードが高かった記憶。あんまり電話かけることないのにもったいないなと思った。かよこさんが滞在しているアパートに遊びに行く約束、場所と時間を決めた。
カウンターにちょうどラファがいたので話をする。話したって日記にはよく書いているけど何語でどれくらい何を話したのか謎すぎる。

部屋は4人部屋から10人部屋へと移動になった。10人はかなり大所帯で洗面台もかなり荒れている。
タイ人のワシン。日本が大好きで留学経験もあり日本語が話せるし明るい青年だった。
「私の名前はワシン。和の心。良い名前でしょ。地球の歩き方最高!」と言っていた。
このフレーズが私は好きで今でも思い出して楽しい気分になる。今どうしてるかな。
イタリア人の女の子もいた。名前は分からない。
しばらく3人で話していたけどかなり乱れた会話だった。ワシンのタイ語なまりな英語とイタリア語なまりの彼女の英語が通じ合っていなくて両方の英語を私は理解できるけど英語で話せないという感じ。でもそれが妙に楽しかった。

夜ご飯の記録がないけど、アイスだけだったのかな。










2020/05/26

2008年5月26日 パリ4日目






早朝 起床
6:30に受付で部屋の予約をしようと思ったけどもしかしたら今夜は部屋ないかもしれない、と言われる。
どうしよう、不安になったけど今はどうしようもないのでとりあえず出かけることに。
荷物を預かってもらう。
預かるといって受付の横に雑多に置かれている荷物のところに置くだけなのでかなり不安だけど仕方ない。貴重品は入れず、リュックのチャックのところを紐で結んでおく。

7:00にみゅうへ
大型バスに乗り込んでツアーに参加。
日本人向けの旅行会社のツアーなので参加者の日本人のみ。
数十名の参加。
バスの座席は余裕があり各自好きなところに座る。
まさに観光という気分になって楽しい。
いざモンサンミシェルへ。
道中の景色のすばらしいこと。
街の喧騒から出て自然あふれる景色は同じ田舎の風景でも当たり前だけど日本とは違う世界で5月の緑がとても豊だった。パリの風景もすごく好きだけど自然豊かなフランスのいろんな地域も魅力的だなと思った。
サービスエリアで日記によると「バワン」を買うと書いてあるけど何のことか分からない。殴り書きってこわい。その「バワン」とお菓子を購入。

窓の外から遠目にモンサンミシェルが見えてきた。
それだけで感動。息を飲むってこういうこと。
ほんとうにすばらしい景色だった。
バスは12:00過ぎに到着、降りて島までつながっている道を歩く。
干潮で浜辺に降りて歩いている人もいる。
晴れているし最高に気持ちがいい。
満潮のときはぎりぎり歩けるらしいが大潮だと島まで渡れないらしい。
2020年現代は立派な橋が出来てどんなときも渡れるとのこと。

島についたらすぐにランチ。
レストランまで細い道が続き、脇にはお土産屋さんがずらりと並んでいる。江ノ島や長崎みたい。観光地のイメージが同じで微笑ましい。
予約されているレストランはツアー客用のお店っぽかった。
名物がオムレツということでレストランでオムレツとポークソテー、りんごのアイスをいただく。
参加者と少し話す。ご夫婦、親子連れ、家族総出。いつもは違うところにいる人たちが同じタイミングでこのツアーに参加した不思議を感じる。ツアーはほば参加したことがないので面白かった。みんなで決められた時間通りに動く。学校みたい。
ランチを終えて、修道院の中へ。各自好きな様にまわる。
修道院の中は少しひんやりとしていて薄暗い印象。どこか寂しげ。建物の作りは素晴らしく歴史を感じる。テラスや遊歩道があり外の空気を感じられるのがとてもよかった。ぽこっと外に出たところに大天使ミカエルの像があり不思議な存在感だった。
修道院は厳かで私はずっといるのがしんどいなと感じて外のテラスで海の向こうの景色を楽しんだ。悲しい歴史もあるだろうしそれだけ長い年月残っているということはそういうことなんだと思った。でもこの修道院があるからモンサンミシェルの美しさがあるように思う。
日帰りツアーはあっという間。帰りも長いバスになるので夕方前には集合。また来た道を歩いてバスまで向かう。ゆっくり歩きながら何度も振り返りモンサンミシェルの姿を目に焼き付ける。また来れるかは分からないしこの感動は忘れたくないなと思った。
バスの中からもずっとその姿を見続けた。さよなら。なんだかさみしい。

パリに着いたときはすでに日も暮れていて雨が降ってきていた。
宿に戻り部屋があるか聞いたけどないとのことで仕方なく荷物を持って違うユースホステルへ行くことに。部屋空いているか分からないけど、とにかく行ってみるしかない。
リュックひとつとはいえ全部の荷物に雨、歩いて20分くらいの道があまりにも不安すぎてパリに来て初めて泣きそうになった。
着いたユースで部屋があるか聞いてみたらなんとか泊まれそうだった。
案内してもらっているときにBVJ(泊まっていた宿)から電話がかかってきて私のことを話しているということだった。言語が全く通じないけどなんとなくお互い理解して私は戻ったほうが良さそうだということでBVJまで引き返すことに。頭の中はやや混乱していた。なにが起きているのか分からなくて不安なまま歩いていると若者の集団に日本語でからかわれた。それどころではないし相手にすると面倒だと思ったので無視。不思議そうに見られた。

BVJに戻るとファラ(受付の親切なおじさま)がなにしてるんだ!みたいな雰囲気で怒っている。どうやら私の部屋は確保されているらしい。さっきはないって言われたのに、受付にいた子が分からなかったのかな。怒られながら新しい部屋に案内してもらう。
怒られたけど(あまり怒られてる感覚はない)部屋があったことの喜びの方が大きい。
4人部屋。Aneigも一緒。シアトルからのValla?VAlly?メモが読めないけど、新しく同室になったメンバーに挨拶。彼女の荷物はとても大きくてドライヤーまで持参していた。今時の子って感じがしておもしろかった。アメリカって感じで良い。
2段ベッドの上になった。
宿問題が不安すぎてお布団で眠れることに感謝して寝た。本当によかった。

このときから今でもずっと謎。どうしてBVJは私が向かったユースが分かったのか、部屋はないかもって言ってたのに部屋を取っておいてくれたのか、でもとにかくみんなが優しいってことだけ実感している。








2020/05/25

2008年5月25日 パリ3日目


 







朝 シャワーを浴びる。
Aneigと一緒に朝ごはんをテラスで食べているとスタッフに怒られた。
テラスでは食べたらダメだったみたい。
Aneigは会うたびに「冷蔵庫の中には卵と牛乳があります」と日本語で言ってくる。
かわいいけどそのたびにうまく反応出来なくて申し訳ないなと思う。
もっと英語もフランス語も話せたらよかった。
カウンターで部屋の予約、同じ部屋をそのまま予約出来た。
荷物を出さなくていいからとても楽。

メールをしに日本人が経営している「うらばす」というネットカフェへ。
いろいろあったけど宿がパリの中心部のあるというのはとても便利だと気付いてある意味ラッキーだったなと思う。わざわざメトロに乗って出かけなくてもいいし歩いてどこまでも行けそう。街並みも素敵だし飽きない。
メールの用事を済ませてATMでお金をおろす。
旅行会社の「みゅう」へ寄ってモンサンミシェルへ行くツアーを申し込んだ。
せっかくだから観光らしい観光もしてみることに。
安くはないけど次いつ来れるか分からないしここはケチらない。
日本の旅行会社で、スタッフもほぼ日本人。
おもしろいおじさんとおばさんがいて久しぶりの日本語の会話、とても楽しかった。
この地球上でひとつでも話せる言語があるというのはありがたいことように感じる。

みゅうを出てそのままオペラ座まで歩く。中には入れないけどとにかく建物が素晴らしい。パリの建物はすべて美しくてみんなが外国に憧れる気持ちが分かる気がする。
ランチはマドレーヌ教会の食堂で食べると決めていたのでそのまま教会の方まで歩いてみる。途中、小さな商店で水を購入。
道すがら教会があって日曜日のミサがちょうど終わったのか外にたくさん人がいて賑わっていた。少しだけ中に入って見学。教会は落ち着く。
そのままマドレーヌ教会へ。中には入れず、食堂にだけ寄る。
ここのランチは日本円で千円程度とパリのランチの中でも格安ということで本におすすめとあった。街のレストランにも行ってみたいけど高いので毎日は行けないし一人だとハードルが高い。楽しみにしていたマドレーヌ教会。
前菜、メイン、デザートをその日のメニューから好きなものを選ぶ。
どんなメニューだったか日記には書いていなかったけど満足した気持ちは覚えている。
写真も撮れたらよかったな。

食堂を出て目の前のコンコルド広場へ。こういう広場って日本にはないしとても歴史的なものを感じる。すごいなって思うのと、ちょっとこわいなという思いが半々。
なんでこわいと思うのか分からないけど。
と思ってコンコルド広場を改めて調べみたらルイ16世やマリーアントワネットが処刑された広場だった、、。そりゃこわいよね。広場から滲み出てるこわさがあるのかしら。
そうこうしてると観光客用のバイク(たぶん)に乗った年配の日本人夫婦が大喧嘩していた。道を行く人々の注目を浴びていた。このときばかりは同じ日本人として恥ずかしかったな。運転手さんは呆れ顔。かわいそうに。

シャンゼリゼ通りの方へ行くのに公園の中を通る。アイスの屋台があったので迷わずアプリコットを選ぶ。甘酸っぱくて美味しい。噴水もあって天気もいいしみんな楽しそう。
日曜日だから子どもたちもたくさん遊びに来ていた。
そのままシャンゼリゼ通りを凱旋門の方まで歩く。けっこう長い。
たくさんお店も並んでいて表参道みたいな雰囲気。
凱旋門の上に上がったような気がするけど日記には何も書いていない。どうだったかな。
帰りは来た道とは逆側の道を歩く。風月堂の由来となったというフーケッツがあって少し親近感。
歩き疲れたところでベンチがあったので地図の確認がてた休憩。となりの絵に描いたような老夫婦がいてにっこり目配せしてくれたのがとてもうれしかった。かわいい。
バイバイもしてくれた。

セーヌ川を渡ったところにオルセー美術館があるので行ってみることに。
中には入らず外から見学。元駅舎の建物は壮大で優雅だった。いつどこの美術館に行くか、スケジュール的に考えるのが難しい。あとフリーパスを買うかどうか。買った方がお得だけど何日間のパスにするのか。いろいろ計画しないと。

オルセーからそのままセーヌ川沿いを歩く。道端でパリのお土産を売っていたりするがどのタイミングでおみやげを買うか、迷う。道端だとだいたいエッフェル塔のキーホルダーやポストカードなど。同じ物を売っていて人によって値段が微妙に違う。
国立美術学校の前をしばし眺める。芸術をパリで学べるってすごいことだろうな。

そのままのんびりと散歩。セーヌ川は本当にすばらしい。落ち着く。いろんな橋があってそのたびに橋の上からパリの街並みを見る。歩いている人たちもすてき。
クレープ屋を見つけたのでチョコのクレープを買って食べながらおなじみになった教会のある広場ヘ行く。
教会の名前はサントゥスタッシュ教会。
中から音楽が聞こえてきたので入ってみたらちょうどミサが開催されていた。
すばらしい。
みんなが神父さまのところへ並んだのでなんだかよく分からなかったけど私も並んでみた。神父さまに手を合わせるとまあるい煎餅みたいなお菓子をくれたのでいただいた。
あとで調べてみると洗礼を受けた信者しかいただいてはいけなかったみたいで心の中でごめんなさい。無知とはおそろしい。信者ではないけど子供のころ日曜学校に通っていたので賛美歌や聖書は懐かしくもありそれもあって教会が落ち着くのかな、と思った。
気持ち良いまま外に出る。


この日はここで日記が終わっていた。
夜ご飯はどうしたんだろう。少しでも行動が書いてあるとそうだったと思い出せるけど何もヒントがないとさっぱり分からない。でも次の日が早朝から出かける予定だったから早めに寝たのかな。なんとなくこの日ぐらいに初日に出会ったかよこさんに電話をしたような気がする。電話のカードのシステムが難しかったような記憶。





















2020/05/24

2008年5月24日 パリ2日目




 










 快便。
食堂で朝食。
フルーツ、ヨーグルト、バゲット少し、オレンジジュース
学食みたいな食堂で自分で好きなだけ取っていく。
ヨーグルトは加糖と無糖があるみたいだったけど初めてで分からず。
そのままロビーまで行って今夜の部屋の予約をする。
部屋の予約は当日の朝にしかできないシステムだった。
ユースより高いけど中心街だから歩いて色々行けそうなのと、みんな優しいのがとても気に行っている。
Aneigはお出かけ。私は少し憂鬱。早くも旅疲れなのかな。

気を取り直してメトロでPORTE DE VANVES駅へ。
ヴァンヴの蚤の市。蚤の市は楽しみにいていたことのひとつ。
まだ少し不安なので日本人らしき人の後ろを追いかけて行く。
made in Franceの物を買おうとしたけど安くならなくてやめた。(日記の文字が汚くて何を買おうとしたのか分からない)
バゲット、アイス、古い切手、アンティークのレースの手袋、古いメモや紙袋などを購入。
古い紙袋を見ているときに日本人親子に話しかけられる。
娘さんはもう帰国するけどお母さんはまだ滞在予定でアパートを借りているから遊びに来ないかと誘ってくれた。うれしい!電話番号を聞いて後日連絡することに。
かよこさんという方。うちのお母さんと同い年くらいかな。

市の外に出て腰掛けてバゲットを食べていると日本の観光客に「住んでどれくらいなのか」と聞かれた。
まだパリ2日目。
驚かれた。
地元住民に見えたのかな?ふしぎ。

中心街まで戻って散歩。
公園に行こうと思ったけど道に迷い気がついたらノートルダム大聖堂に着いた。
ボーッと眺めながらバゲットを食べる。
立派な大聖堂、中に入るのはもっと時間があるときにする。
目の前の広場にはたくさんの人、みんな楽しそう。
近くのサン・ルイ島まで行ってアイス屋さんを探す。いろいろあるけどなんとなく気になるところ(老舗っぽいところ)を見つけてキャラメル味のいちばん安いのを食べる。
すごく美味しかった!
量も小ぶりでちょっとしたおやつにちょうどいいなと思いアイスは見つけたら迷わず食べようと決めた。
旅の楽しみがひとつ見つかってうれしい。
暑すぎず、寒すぎず、良い気候のときに来れてよかった。

歩いていると雨が降ってきた。折り畳み傘を置いてきてしまったので歩いては雨宿りの繰り返し。たまたま見つけたデパート(BHV)へ雨宿りがてら入って散策。文房具売り場で迷いながらもかわいいシールを買った。四角とか三角のいろんな色のシール。
ちょっとした食堂みたいな休憩室でペリエを飲みながら持ってきた本を読む。
持ってきたのは地球の歩き方と猫沢エミさんのパリのエッセイ本。
パリに来たきっかけは猫沢エミさんを見かけて本を読んでみようと買ってみたらすごく面白くてパリいいなと思ったのが大きい。
ただひたすら褒めちぎるファッション雑誌と違って良いところも悪いところもぜんぶ赤裸々に書いてあったのがよかった。私は全くパリに期待することなく来れたので今のところ理想と違うなとがっかりすることが全くない。噂でよく聞く犬の糞があちこちに落ちているというのにもまだ遭遇していない。

窓の外は大雨。土曜日で人でも多くわいわいしているのが楽しかった。
けっこうのんびりしたしそろそろ行こうと出たけどまだ雨が降っている。
屋根のあるところをなるべく歩いてH&M(当時はまだ日本にはなかった)に入り物色。
日本では買えない洋服に魅力を感じるけど欲しい物は高いしパリで買うのも違う気がして迷う。結局なにも買わず。
出て、とりあえず西の方へ歩いてみると昨日の広場に出た。
地図で確認してみたら広場にある大きな建物は教会なのが分かった。嬉しい。
ミサのある日を確認しておく。
しばらく木陰で雨宿り。
 すると日本人の花嫁さんが目の前を通った!すごく美しい。
お母さんは着物を着ている。良い物を見た気がする。

葉書を買おうかなと昨日の文房具屋に行ってみたけど店じまいしていたのでまた戻って来て映画館などが入っている大きなビルに入ってみる。近代的なビル。
映画を観てもいいかなと少し思ったけどやめた。
地下のカフェでワッフルを買って食べる。
すっかり暗くなったので宿に帰ったらちょうどカウンターにいたAneigに会う。
今から夕ご飯を食べに行くとのこと。
受付の女の子と少し話をして部屋に戻る。
疲れていたのかベッドに横になったまま夜中まで寝てしまった。
変な光で目が覚めて、見ると充電していた携帯電話が謎の光を発している!!!
変圧器が間違っていたのかな?そんなはずはないと思うけど。
携帯電話は使えなくなってしまった。
写真も撮ったりしていたけどなにより時計変わりにしていたので一瞬焦ったけどipodにも時計機能があることに気がついて安堵。
この世の全てのことに感謝した。
大袈裟かもしれないけど、パリに来て何かに助けられている感じがすごくある。

Aneigの寝言がすごい。










2020/05/23

2008年5月23日 パリへ

 




 




2008年5月23日

7:00起床
7:45出発
59のバスに乗ってキングスクロス駅へ
初のユーロスター(イギリスと日本をつなぐ新幹線みたいな電車)
チケットは日本で買うよりもイギリスで買った方が安いからとあべちゃんが買ってくれていた。こんなとき現地にいる友人は心強い。
ここからはひとりきりになるので少し不安になる。
9:26出発 18号車 4人用のボックス席
黒人のフランス人親子と一緒だった
お母さん、男の子、女の子、明日で9ヶ月の女の子
子供達が知っている日本語の単語を教えてくれたり「これは日本語でなんというのか」という質問をしてくれたり、お母さんとはどこまで行くのかという話、と言っても私が英語もフランス語も話せないのでかなりぎこちない会話だったと思う。
ユーロスターはなかなか快適だった。

12:47パリの到着(イギリスとの時差は1時間)
降りたホームで男の子がグッドラックとサインしてくれた。うれしかった。
降りたはいいがここがどこなのかさっぱり分からない。
いきなり英語からフランス語になって少しとまどう。
とりあえず落ち着くために本場のPAULでクロワッサンを買う。
初フランス語での買い物、初ユーロでの支払い 少し緊張した。
チケットが買えるインフォメーションを探そうとしたけどよく分からず、それっぽいのがあったけどフランス語も英語も分からないのでやめた。度胸の問題か?(とメモ)
うろうろしてベンチに座ってクロワッサンを食べて落ち着く。
宿を取っていなかったのでとりあえずユースホステルに行こうとメトロ③を探したけどないので④の方へ、その前にトイレへ(1ユーロ)。
インフォメーションを見つけて地図を見せて行きたいところの指差したら切符を一枚くれた。1.5ユーロ メトロは暗くて臭い。それでもメトロが平気なのはロンドンでの経験があるからな気がする。

なんとかPORTE DE BAGNOLET駅へ。出口がいまいち分からないので適当に降りる。
地図で通りと住所を照らし合わせてとぼとぼ歩いてメモしたユースホステルへ。
地球の歩き方にはたしか4軒ほどのユースが掲載されていてそのうち安全面で評価があったところのみを候補にしていた。ユースは普通のホテルより安い。
ユースに着いて受付の男性に会話本の「今晩から泊まりたい」というところを指して伝える。一瞬だけパソコンを操作したけど即答で「full」(満席)と言われてしまった。
私の方を全く見ないので怪しいなと思ったけど伝える術がなかった。
このとき初めて人種差別を受けたような気がして腹が立った。
諦めて次に行くことに。外に出た瞬間、宿を決めて来なかったことを少し後悔した。
自分の責任なので自分を責めるしかない。
一気に旅気分が最悪になった。でも泣いていられないので次の駅へ。

REPUBLIQUE駅で下車。次の候補のユースへ。門のところに立っているおじさんに聞いたが「full」と何も調べずに言われてしまう。これは本当に満室なんだろうなと思った。
優しいおじさんで、「この先にもあるよ」と教えてくれた。まっすぐ行って右。
一泊60ユーロとかなり高めだったけど泊まるところがないよりはましだと思って受付に行ったらなんと美少年が日本語で対応してくれた。が、「もういっぱいです」とのこと。
他にないかと聞いたらルーブル美術館の近くにあるから電話してみればと電話を貸してくれた。言われるがまま電話をするが途中で言葉が分からなくなり彼に変わってもらう。
夜の7時にならないと今夜ベッドが開くか分からないらしい。不安がる私に彼は「次へどうぞ」とクールにばっさり。
駅までの道、このまま泊まるところがないとどうしようかと不安になってかなりドキドキした。とりあえず今電話してみたところへ行ってみることに。地球の歩き方にも掲載されているところだったので場所の不安はなかったけど地図通りのところを何度通っても見つけられなくてもうダメかと思った。でもこの通りしか考えられないともう一度通ったら見つかった!正式名称を略していただけだった!静かなたたずまいのビル。
受付の女の子が千尋と印象が似ていて安心した。まだ夜にもなっていなかったけどとりあえず聞いてみようとまた会話本を出して「今晩から泊まりたい」を指差し。
即答でOKだった!よかったーーー
胸をなで下ろすとはこういうことだと本気で思った。

34号室のツインの部屋。鍵が二段階になっていて(まわしてまわしてもう一回まわす、とメモにある)開け方が分からず開かなくてどうしようと思いながらもいつか開くだろうと思いながら回し続けていたら開いた。
部屋にはすでにだれかの荷物が置いてあった。少し疲れた。
一気に安堵感と疲れが押し寄せてきて少し横になった。30分くらい寝たかな。
あまり楽しい気持ちになれず、むしろ何しに来たんだろうという気持ちでいっぱい。
でもなんとか起きて散歩でもしようと外に出てみた。
大きな郵便局があったので入ってみると変な派手なボールペンをパリのおみやげにと勧められたけど断る。ちょっと歩くと文房具屋さんがあったので葉書を一枚買う。
郵便局にまた行って座りながら千尋に手紙を書いた。パリ初日で何もないのでとりあえずホテルの受付のお姉さんが千尋に似ていることを書いた。
いつのまにかハンカチを落としていたみたいで男の人が拾ってくれた。
窓口がいくつかあって並んでみるけどなかなか進まない。そんな私を見てか女の人がやって来て「あ、それならこっちでもできるわよ」的なことを言いながら機械のところで説明しながらぜんぶやってくれた。ありがとう!優しい人に会えてよかった。
とにかくみんな優しい気がする。

郵便局を出てとぼとぼ適当に歩いていたら公園のような広場に出た。落書きだらけの大きなモニュメントがあって子供たちが遊んでいる。そうこうしていると広場で急に演劇が始まった。ファントム風な子と気難しそうな人たち。しばらく座ってぼんやり見ていると隣に座っていた女の子が話しかけてきた。「フランス語分かるか」という聞いてきたでの「分からない」と答える。私は日本、あなたは? チェコスロバキアのイヴァ、少し話す。
演劇をなんだかんだ最後まで観て投げ銭で少しだけお金を入れた。歩きながらイヴァと話す。そのまま近くのカフェでご飯を食べることに。
サーモンのサラダとペリエ 18ユーロ 少し高め 山盛りで美味しい。
英語が少ししか分からないもんだからあまり会話ができず申し訳なくて仕方なかった。
お店を出てメトロのところでバイバイ。

部屋に戻ったらAnaigというフランス人の女の子がいた。アネイグという発音が難しい。
勉強のために2週間いるそう。次はイタリアに行くと言っていた(気がする)。
学校で習ったという「冷蔵庫にはたまごと牛乳があります」という日本語を披露してくれた。かなり疲れていたのでシャワーを浴びてすぐに寝た。



2020/05/22

2008年5月22日 ロンドンへ












先日、片付けをしていたら12年前にパリに行ったときの日記が出てきた。
12年前の5月のこと。
干支も一周回ったし、同じ日に12年前の日記を書いてみようかなと思った。
これは12年前のメモ程度の日記とレシート、写真、地図を片手にもういちど旅するような気持ちで書く「思い出し日記」です。
日記に書いていることと、そこから思い出したこと、感情。


2008年5月22日

朝の5時に東急東横線の都立大学のホームに立つ。この時点で忘れ物があることに気がついて気持ちは落ち込んでいる。自分で行きたいと思って行く旅行だけど荷造りの時点で面倒だなと思い始めてしまってかなりグロッキーだった。英語もフランス語も分からないのにどうしてわざわざ行くんだろう、何しに行くのかもよく分からない。
私の近くに立っているおばさんがとても大きなスーツケースを持っていた。私もスーツケースを持っている。どちらから話しかけたか忘れたけど互いの行先を話した。
スイスに行くらしい。うらやましい。なぜかそう思ったのをよく覚えている。楽しそうにも見えた。私はなんだか余計に憂鬱になってしまった。

5時10分発の渋谷行きに乗り、5時20分に渋谷着。そこから半蔵門線に乗り換えて水天宮前へ5時50分着。エアターミナル行きのリムジンバスに乗る。6時出発。
太陽、東京、暴走。(とメモに走り書き)
7時に成田空港第1ターミナル南ウィングに到着。
免税店で懐かしいドリカムの曲がかかっている。
9時にアシアナ航空でソウルへ。機内食はサカナ、ご飯、サラダ、パン、ジュース、フルーツ、濃い麦茶みたいなコーヒー。
パン、ジュース、バターは残して持ち帰る。
11時47分頃 ソウルに到着。強風で遅れ。トランジットを待っている間のことだったかな?韓国のおばさまたちがずらりと座りみんなでそろってチョコバーを食べていたのが衝撃的だった!面白すぎる。終始和やかな。同じグループのおじさんと少しだけ英語で話す。おじさんは赤ちゃんを抱いていた。韓国の人たちはとてもフレンドリーでいいなと思った。チョコバーの横に「うどん」とメモが残っているけど覚えていない。私が食べたのか、おばさんたちが食べていたのか。なぞ。

ロンドン時間の18時45分にロンドンに着陸。ドキドキ!
といってもロンドンは2回目なのでなんということはない気がしていたけど、ロンドンでの滞在先の住所が分からなくて係のお姉さんに怒られる。ごめんなさい。どう乗り切ったのかはまるで覚えていない。
出たところであべちゃんが待っていてくれた。2年ぶりの再会。会ってしまえば久しぶりという感覚もなくなるから不思議だ。少し大人っぽくなったあべちゃんは金のメッシュをいれてますますロンドンっ子になったように思う。
久しぶりのTube(地下鉄)でピカデリーサーカスへ。そこからバスでオーバルへ、あべちゃんの住んでいる家まで行く。素敵なおうち、外国の映画で見るような細い住居、少し階段を上がったところに玄関があって、階段であべちゃんの部屋へ。ジャンギーとソフィー、フランス人と中国人のかわいいカップルにご挨拶。夜ご飯は近所のカフェ&バーでホームメイドスープ(記憶だとマッシュルームのようなきのこのスープだった)を。
翌日からパリなので早めに寝ることに。
あべちゃんのベッドでふたりで寝た。