2011/03/21

春分の日

夜中に見た夢
また帰宅難民になってしまって 歩いて家まで帰ろうとするのにぜんぜん家に着かない
道が暗くて わからない
ただそれだけの夢なのに
なんだかうなされて目が覚めた
朝方見た夢は
帰るところがないからずっと安いホテル住まいをしていて でもここもそろそろ出て行かないといけないから 部屋を次に借りる人に案内している
ホテルはなぜか南国風で 部屋を次に借りる人はなぜか外国の男性だった

朝からまたニュースでお母さんとふたり号泣
心臓が痛い  とお母さん
胸が痛いを通りこして心臓が痛いらしい
今日は1時間だけ半身浴
何を考えるわけでもないけど
いろんな人のことを思う
わたしの知っている いろんな人のこと
みんなはどうしているのかなぁ ということ
生協から食材が届いて 頼んでたお米が岩手産だったのをお母さんが申し訳ないことをしたなぁ と言ってた
東北の人用に出来たかもしれないお米
5キロで120人分のおにぎり
精米した日付は震災後だった
だいじにいただきましょう
少しレース編みをして
お昼ご飯
またニュースを見て泣く
心を休めるために帰ってきたのに テレビをつけては泣いてのくりかえしで
つかれてしまう
しばしテレビを消して 昨日のSMAPのDVDの続きを見る
けっこういい歌が多い
それでまた泣いてしまう

そういえば 今はまだ3時なのに もう書いている
昨日 祖母のスミ子が91歳になった
そのお祝いで 元々お母さんが地元の山荘でのお泊りを用意していたところに
今夜はわたしも無理を行って仲間入りさせてもらうのです
大阪が一望出来る露天風呂があるという噂

スミ子は大正9年生まれの8人兄弟の末っ子
子どもはもうこれで終わり  ということ すみっこのスミ子であります
ちいちゃかった末っ子のスミ子ももう91歳
大きくなりました
今日は載せる写真がないので
スミ子がまだ家でひとり暮らししていたときにチラシの裏に書いたメモ書きを紹介します
おそらく じいちゃんが死んだあとに書いただろうから 4,5年前のものと思われる

「ねむれなかったので起きて来てお茶を飲んでこれを書いてみた
いつまで有る命なのか。死に度く有り。生きていれば楽しい時も有り色々と考へることも有る…。
今度生まれて来る時は女には御免だと思うけど分からぬことばかり…。
生理のことわ御免である 子供はうれしいので可愛いし… 親になるのもたのしい…
やっぱり赤ちゃんの抱ける女の方が良いか」

油性のマジックでしっかりと書いてある
死にたいのかな? と思いきや もう生まれ変わったときのことを書いてあるのでおかしい
女が嫌な理由が生理というのもおかしい
でも昔の人はきっと大変だったろうなー
90歳近くになってもまだ嫌だと思うってことは相当だったんだろう 
現代は現代でまたちがう問題があるけども

雨があがって
庭にたくさんいろんな鳥が遊びに来ている
そのかわいいこと
ちゅんちゅん しているよ
アジサイが新芽を出している
実家は大きな道路から離れていて
テレビとかがついてないとほんとに静かで
いっしゅんどこにいるか分からない感覚になる
時々 こどもの遊ぶ声や鳥の声 おとうさんのくしゃみ お母さんの歌声が聞こえてくるだけ

明日は大阪市内に出て 友達に会う予定
それで 夜のバスで東京に帰る
休まったのかなんなのか まったく分からない
泣かないって決めたのに 東京でひとりでいるとき以上に泣いているし
でも 東京にいるときよりも心はとっても静かで落ち着いてるからまぁだいじょうぶなんだろ
ということです

明日は家に帰って来れそうにないからブログはお休み かな
書けそうだったら また会いましょう

今日はお彼岸で 春分の日です
(たぶん)

0 件のコメント:

コメントを投稿